移住者なつみんの田舎暮らし

名古屋のベッドタウンから富山県南砺市に移住をした私の田舎暮らしをご紹介します。

答え合わせ

今日の夕方に、夫のKBとお仏壇に手を合わせながら、KBの父親の話をしました。

KBのお父さんが亡くなったのは、平成20年だった?21年だった?って。

KBと知り合ったきっかけになった職業訓練校を卒業したのが20年の3月。
私が卒業後にKBに連絡したのはその翌年だった。。。と思っていたら、
KBの父親が亡くなったのは職業訓練校を卒業して1年後で、私がKBに連絡したのは実は卒業後の翌々年のことで、
だから、私の記憶が丸1年分消えていることが判りました。

KBに連絡する前の年末年始は、私の中でも最悪クラスのどん底期で、
いつしんでもおかしくはない崖っぷちの時を経てKBに連絡ができるくらいに回復して。。。
そんな話をしました。

職業訓練校卒業と同時に婚家を出て2度目の一人暮らしを始め、
パワハラ全開の業界随一のカリスマ社長がいる会社に就職するも1か月ほどで退職し、お金が底を着いて。。。。

もう一人暮らしは無理だからと実家に申し出るも、
「あんたと一緒に暮らしたら私までうつ病になるわ!生活保護を受けて一人で暮せ。家には来るな。」
「あんたのアパートに私が訪ねて行くことはない」と、完璧なまでの絶縁状を母親から叩きつけられ、
「ど、れ、に、し、よ、う、か、な」と、毎日毎日マンションを見上げていた日々から、
どうやってKBに辿り着くまで復活できたのか不明だけれど、
KBと付き合っていなかったら、今頃生きてはいないと、何度も話した内容をまた話しました。

KBと付き合っている時もKBに甘えることはなく、KBにすがることはなく、
私は自活する為に就職をして、自力でお金を稼ぐことしか考えてなかったんだよねって。

私は傷の舐めあいをするのが嫌いで、誰とも『辛い』や『キツイ』を共有したことがなく、
(そう言えば、弟が亡くなった時でも『悲しい』を誰とも共有できずにいたなぁ。
 って言うか、今まで誰とも感情を共有したことはないかも!!)
だから『そんな』究極の状態だと誰にも知られることなくしんで行ったんだろうなと。

KBと付き合ってからも体調や心の調子が不安定だった為に、就職と退職を繰り返していて、お金を安定して稼ぐってことはできなかったよね?って。
コンビニチェーンの工場の事務に行ったり、ラブホテルのリネン係で部屋を掃除する仕事をしたり。。。って。
障害者就労支援A型の施設を辞めた直後に通所した、愛知県の岡崎市にある障害者の就労移行支援までは長距離を電車で通って、

ペットのトリミングの資格を取得しようとしたけど結局途中でダメになって、
あの時もソファーと一体化して過ごして、3か月くらい動けなかったんだよね って。

 

KBと結婚して4年

同居期間が1年

交際期間1年


KBと付き合ってからは、もうしぬしかない というどん底にまでは落ちてはいないけれど、

底辺を這いずり回っていた期間が、付き合って今までの期間のちょうど半分くらい。
で、今 給料を2倍くれないと辞めちゃうよって言って、明日限りで仕事を退職するようになるなんて、
究極のV字回復だよね!って話をしました。

ずっと崖っぷちに立って、グラグラ揺れながら崖下の波を眺めていた時期からまだ3年。

そう言えば、頭を使うことが一番だと、妹からも母親からも百ます計算をしろと助言されてたなぁって。
言われてもできない自分を責めて、
有効的だと思っての助言でさえも、どれだけ言ってもできない私を責められて。。。。
でも、崖っぷちで崖下を覗き込んでタイミングを見計らっている状態で百ます計算は無理だよねぇって笑いました。

生き残ったんだなぁ。。。わたし。

まさか この年まで生きているとは想像もできてなかったけど、生きているんだなぁ。不思議。